11月28日(日)に”東京スカイツリー見学”と、”もんじゃ焼”の試食!に行きました。


[ 東京スカイツリー ]
2010年12月1日(今日)AM10時に、511mの高さになりました。
再来年の春には世界で最も高い(634m)電波塔が完成されます。

押上駅構内を出ると、高いスカイツリーが見えました(始めて近場で見ることが出来ました)。






業平橋には船がある公園がありました(左)   スカイツリーをバックに揃って記念写真です(右)



歩いて浅草に向かいました(左)    吾妻橋から見る、シンボルマークが!あるアサヒビールのビルです(右)



吾妻橋から隅田川沿岸(左)      ダンスをしている若い方々がいました。(右)



[ 雷 門 ]
表参道入口の門。切妻造の八脚門で向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから、
正式には「風雷神門」というが「雷門」の通称で通っています。
日曜日でもあり、大勢の観光客で賑わっていました。



[ 仲 見 世 ]
雷門から宝蔵門に至る表参道の両側にはみやげ物、菓子などを売る商店が立ち並び「仲見世」と呼ばれています。
商店は東側に54店、西側に35店。寺院建築風の外観を持つ店舗は、関東大震災による被災後、
大正14年(1925年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものである

呼び込みもあり人力車も繁盛(左) 仲見世を歩くのも込み合い大変でした(右)



[ 宝 蔵 門 ]
仲見世の商店街を抜けた先に入母屋造の二重門(2階建てで外観上も屋根が上下二重になっている門)があります。
現在の門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造です。
実業家・大谷米太郎夫妻の寄進によって建てられた。門の左右に金剛力士(仁王)像を安置することからかつては、
「仁王門」と呼ばれていましたが、昭和の再建後は宝蔵門と称し、門の上層は文化財の収蔵庫となっています。



[ 五 重 塔 ]
再建前の塔は慶安元年(1648年)の建立で本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが、
昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失しました。現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した
三重塔の跡地付近に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造で、
アルミ合金瓦葺き、基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。



[ 本 堂 ]
本尊の聖観音像を安置するため観音堂とも呼ばれています。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で、
近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていましたが、昭和20年の東京大空襲で焼失しました。
現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造です。
外陣には川端龍子(かわばたりゅうし)筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画があります。



浅草のお好み焼き店で、もんじゃ焼とお好み焼き、焼きそばを頂きました(店員さんに焼いてもらいました)
反面に、お好み焼きを焼き、反面でもんじゃ焼を焼きます。


始めての もんじゃ焼きも、お好み焼き、焼きそばも美味しかったです。



浅草、合羽橋の問屋街です。



PM3時の雷門前は歩くのも大変な人出でした。


浅草から見た、東京スカイツリーです。



翠昌の友人(元コーラスのメンバー)が、ブラジルから一時帰国しています。
毎回帰国された時は、以前住んでいたY市に遊びに来たり(我が家にも)、
東京で待ち合わせして名所旧跡を訪ねたりしています(その時の状況で変わりますが)
今回は、今話題の「東京スカイツリー」見学と、NHKの朝ドラ「てっぱん」でお馴染みの“もんじゃ焼”を
食べてみたいという事で、東京スカイツリー&浅草見学に決まりました。
仲間は良いですね何年経っても会えば昔のまま、一緒に歌った友人のきれいなアルトの響きが懐かしいです。
尚、説明には一部インターネットより引用させていただきました。



有難うございました。

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