8月4日は快晴、AM5時20分にお迎のA先生のお車に乗り千葉県Yインターより、いよいよ出発です。
首都高速道路を抜け東北自動車道を走り、朝食などの休憩を入れながら快適なドライブで山形へ向かいました。


高速道から高く聳えるスカイツリーが見えました(左)。 (中)は 5月13日JR快速車中。 東北道佐野SAで朝食(7:00)。
(ブルー部分が2か月弱で変わっています)



山形県酒田市(11:00)に到着し、酒田駅前と商店街を歩きました、駅前には船がありました。
航路で米を回送する北前船の名残りでしょうか?(左)。 玄関口の駅前が閑散としてもったいない話です(右)。



M先生のご案内でイタリアンレストランで美味しいランチを頂きました。ポタージュスープとサラダも付いています。



≪ 本間美術館「本館 清遠閣」「庭園 鶴舞園」 ≫ と ≪ 本間家旧本邸 ≫

≪ 本間美術館「本館 清遠閣」「庭園 鶴舞園」 ≫
1日目酒田市内の観光は、「本間さまには及びもないがせめてなりたや殿様に」と俗謡に歌われた本間家です。

「本間美術館」は昭和22年に清遠閣[せいえんかく]とよばれていた書院造2階建の別荘を美術館として開放され、
本間家に伝わる東北諸藩からの拝領品や美術品の多くが展示されています。
別荘として築造した庭園・鶴舞[かくぶ]園と本館、そして企画展を開催する新館があります。


本間美術館はの館内は撮影禁止です。 鶴舞園は広く、沢山の門がありました。



本館と茶室「六明廬」に通じる露地でしょうか(左)。   外腰掛け?がありました(茶室は見学していんせん)(右)。





鳥海山を模った灯籠がありました(左)。   本間家本館「清遠閣」入口です(右)。 



中島の松に鶴が舞い降りた様子から、庄内藩主・酒井忠器公によって「鶴舞園」と名付けられたという、
借景に鳥海山を配した名庭(回遊式庭園)。 清遠閣2階からは全体が見渡せました。



日本庭園ならではの造りです(左)。  鶴舞園から明治期の手漉きのガラス窓のある本館清遠閣を見る(右)。



≪ 本間家旧本邸 ≫

薬医門と漆喰の白壁 (白壁が武家屋敷の風格を物語っています)
      


裏庭には天水桶が沢山置いてあります(左)。七社の宮(土蔵の中に七つの神々を合祠して天下泰平五穀豊穣を願った)。



本間家本邸附き 長屋門(左)。  (右)は「伏龍の松」 富と名声、地位を得た後にも腹八分目より低い七点二分目とし、
→龍が天に上らずに地に伏せて力を貯えておくと言う意味だそうです。



≪ 山居倉庫 ≫

明治26年(1893)に酒田米穀取引所の付属倉庫として、舟の積み降ろしに便利な最上川と新井田川とに挟まれた、
通称「山居島」に建てられたのが始まりです、現在も農業倉庫として活躍中です。

山居倉庫入口(左)。 山居倉庫正面(右)。



←「庄内米歴史資料館」入口手前には、最上川が見えました(左)。
→「千石船」北前船ともいわれ、大阪・京都・江戸へ米を回送しました(右)。



検査・入庫作業の、等身大の背景・人形・小道具。




俵をかついでみよう!
M先生・A先生は右側の60Kに成功です。翠昌は左側の30Kに挑戦して成功しました。



NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケーション舞台にもなリました。



山居倉庫裏のケヤキ並木、陽射しを遮ると同時に冬の強い季節風から建物を守っています。
「おしん」のロケーション舞台では、逆の方向からの映像でした。



山居倉庫の特徴⇒屋根は断熱を考慮した二重構造です。
これは土蔵と屋根の間に空間を作り、風通しを良くすることで土蔵内の熱を上げないようにしています。
また俵から出る熱をも放散していて、倉の内部は湿気防止構造で組み建ててあるそうです。



←三居稲荷神社(倉庫鎮守の神社)(左)。
→内部の土間はにがりを用いて練り固めた上に塩を敷き、倉庫内の温度・湿度を一定に保つています(右)。



敷地内に保管されている”小鵜飼舟”(左)。   (右)は小鵜飼舟の説明板。




鳥海山登山の初日(8月4日)は、M先生のご案内で山形市内の多くを観光してまいりました。
順不同でしたが、今回の「リンク63」、前回の「リンク62」、そして最初の「リンク61」です。
次回は、今回目的である2日目の”鳥海山登山”を更新させていただきます。
あまり間が空かないように努力致しますので宜しくお願い致します。

尚、説明には一部パンフレット・インターネットより引用させていただきました。



有難うございました。

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