「甲斐の国・風林火山博」館 入り口
氏神 武田八幡宮 出演者のパネル写真 信玄が再興した本殿 山本勘助の鎧兜 記念撮影が出来ます
出演者のサイン色紙
宿泊 フルーツパーク富士屋ホテル(前庭にはフルーツ果実が沢山) 富士屋ホテル入り口 室内からは美しい富士山とホテル前庭が見え眺めは最高です
??山本勘助は実在人物か?? ---------------------------- 江戸時代の軍学書に信玄の側近として数多くの逸話とともに登場、生い立ちも経歴も謎で、 架空説と実在説との狭間で揺れ動いてきましたが、昭和44年に「山本菅助」の名前が記された 「文河文書」が発見されて以降、現在は実存説が有力とされています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 2日目午前は武田信玄公菩提寺「恵林寺」の見学。午後はNHK大河ドラマ「風林火山・撮影地」 ゆっくり見学。耐久期間は5年の建造物との話で新築でも古く見える工夫がされていました。
武田信玄公菩提寺「恵林寺」
「恵林寺」前・信玄通り 山門<県文化財> 風林火山の書
家臣供養等 信玄公墓所 開山堂
「風 林 火 山」 「 そのはやきこと「風」のごとく、そのしずかなること「林」のごとく しんりゃくすこと「火」のごとく、うごかざること「山」のごとく(し)、 しりかたきこと陰のごとく、うごくと雷霆のごとし 」
武田信玄公訓言
《およその軍勝、五分をもって上となし、七分を中となす、十分をもって下となす 》 と自らを戒め「五分までの勝ちで十分」「兵強ければ即ち滅ぶ」とまで説いている。 五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生じる。 人材を育て生かすことを心がけたと、書かれています。
NHK大河ドラマ「風林火山・撮影地」 敷地面積:19,000u
「躑躅ヶ崎館」は武田三代が60余年に渡り領国経営の中心地で、天下取りの夢を抱いた処
??信玄の3つの遺言?? -----------------------
「三年間は自分の死を隠し通せ?」 「跡継ぎは勝頼ではなくその息子、信勝?」 「葬儀は不必要。遺骸を諏訪湖に沈めよ?」 元亀4年53歳没 死因:胃がん、肺がん、肺結核の三説があります
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 3日目は「諏訪湖の遊覧船」(30分)に乗り。そして全国1万有余を数える諏訪神社の総本山 「諏訪大社下社秋宮」を見学、帰路は由布姫特設館と、ゆかりの「高島城」を見学しました。
諏訪湖畔の紅葉 諏訪湖一周遊覧船内から初島など見る
諏訪大社 .下社秋宮 神楽殿 根入りの杉 正面の大注連縄は御柱大祭毎に新しく奉製される (樹齢6〜700百年) (連縄・重量約1トン)
高島城 天守閣から
??戦国時代の女性の名・由布姫の名前の由来について?? ------------------------------------------------------ 井上 靖氏は由布院温泉で「風林火山」を執筆その折⇒由布(ゆう)姫と命名。 新田次郎氏は諏訪湖に流れ込む衣之渡川と湖を組み合わせ「武田信玄」を執筆その折 ⇒湖衣(こい)姫と命名したと言われています。3日間、甲府市も諏訪市も至る所に風林火山の旗が棚引いていました。