恒例の親子旅(春秋.年2回)ここ数年は近距離を選び、ゆっくり時間をかけながらの旅行です。
今年の秋編は遠く!大河ドラマに因んだ甲斐・諏訪に決め、10月28日〜30日に行きました。

1日目は埼玉県に10時集合して山梨県甲府市に向い、宿泊ホテルで観光のお勧めを聞き、
甲府市内にある「甲斐の国・風林火山博」の見学をしました。館内は大河ドラマゾーン等があり、
壮大な歴史ロマンに迫った登場人物の、人となりが紹介されていました。

                
 「甲斐の国・風林火山博」館 入り口


氏神 武田八幡宮                        出演者のパネル写真
信玄が再興した本殿      山本勘助の鎧兜     記念撮影が出来ます 
 

   
 出演者のサイン色紙


   
宿泊 フルーツパーク富士屋ホテル(前庭にはフルーツ果実が沢山)    
富士屋ホテル入り口 室内からは美しい富士山とホテル前庭が見え眺めは最高です
  
??山本勘助は実在人物か??
----------------------------
江戸時代の軍学書に信玄の側近として数多くの逸話とともに登場、生い立ちも経歴も謎で、
架空説と実在説との狭間で揺れ動いてきましたが、昭和44年に「山本菅助」の名前が記された
「文河文書」が発見されて以降、現在は実存説が有力とされています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2日目午前は武田信玄公菩提寺「恵林寺」の見学。午後はNHK大河ドラマ「風林火山・撮影地」
ゆっくり見学。耐久期間は5年の建造物との話で新築でも古く見える工夫がされていました。
   
武田信玄公菩提寺「恵林寺」 
    「恵林寺」前・信玄通り    山門<県文化財>     風林火山の書


       
家臣供養等           信玄公墓所         開山堂 


  
「風 林 火 山」
「 そのはやきこと「風」のごとく、そのしずかなること「林」のごとく
しんりゃくすこと「火」のごとく、うごかざること「山」のごとく(し)、
しりかたきこと陰のごとく、うごくと雷霆のごとし 」
       
     武田信玄公訓言        
  
 《およその軍勝、五分をもって上となし、七分を中となす、十分をもって下となす 》
と自らを戒め「五分までの勝ちで十分」「兵強ければ即ち滅ぶ」とまで説いている。
五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生じる。
人材を育て生かすことを心がけたと、書かれています。
   
 NHK大河ドラマ「風林火山・撮影地」  敷地面積:19,000u   
  
「躑躅ヶ崎館」は武田三代が60余年に渡り領国経営の中心地で、天下取りの夢を抱いた処 
 
??信玄の3つの遺言??
-----------------------
 「三年間は自分の死を隠し通せ?」
「跡継ぎは勝頼ではなくその息子、信勝?」
「葬儀は不必要。遺骸を諏訪湖に沈めよ?」
 元亀4年53歳没     死因:胃がん、肺がん、肺結核の三説があります
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3日目は「諏訪湖の遊覧船」(30分)に乗り。そして全国1万有余を数える諏訪神社の総本山
「諏訪大社下社秋宮」を見学、帰路は由布姫特設館と、ゆかりの「高島城」を見学しました。
 
諏訪湖畔の紅葉  諏訪湖一周遊覧船内から初島など見る   
 
諏訪大社 .下社秋宮         神楽殿              根入りの杉
 正面の大注連縄は御柱大祭毎に新しく奉製される    (樹齢6〜700百年) 
        (連縄・重量約1トン) 

 
高島城               天守閣から 


 
??戦国時代の女性の名・由布姫の名前の由来について??
------------------------------------------------------
井上 靖氏は由布院温泉で「風林火山」を執筆その折⇒由布(ゆう)姫と命名。
新田次郎氏は諏訪湖に流れ込む衣之渡川と湖を組み合わせ「武田信玄」を執筆その折
⇒湖衣(こい)姫と命名したと言われています。
3日間、甲府市も諏訪市も至る所に風林火山の旗が棚引いていました。
12月に入り落ち葉の季節となって、思い浮かべながらの更新となりました。


有難うございました。

inserted by FC2 system 戻る