2014年8月9日、長崎は69回目の「長崎原爆の日」を迎えました。

平和公園で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ「長崎平和宣言」を誓いました。

原爆投下時刻の午前11時2分には「長崎の鐘」が鳴らされ参列者全員で黙とうし、
犠牲者の冥福をお祈りしました。


一週間前の8月3日、私達は「長崎平和記念コンサート」に合唱団として参加して来ました。

曲は昨年の12月15日、四街道市で開催された「平和と文化のつどい」で歌われた、
安藤裕樹作詞・作曲の、カンタータ「この灯を永遠に」の、全10曲です。


★昨年の12月15日に行われたY市の「この灯を永遠に」は、Link102から ご覧ください。
写真での紹介と、”あらすじ”が記載されております。

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★1日目、8月2日(土) 『 長崎駅前 交通会館にて 前日リハーサル 』

夕刻からの指揮者・ピアノ・ソリスト・子役・合唱団の顔合わせと練習
(山本達雄さんのご子息、山本拓道さんのお話しと交流会もありました)


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★2日目、8月3日(日) 『 長崎ブリックホール・大ホールに於いて長崎平和記念コンサート 』 開演 

午前9時に会場へ、リハーサル室で練習後、舞台にてステージリハ―サルを行う。
午後2時開演、4時終演。素晴らしい台本で、途中涙が出てしまいました。
(残念ながら、舞台写真はありません)

終演後に四街道からの出演者全員で記念写真。


18時30分、打ち上げパーティーで指揮者(ピアノ伴奏)、ピアニスト、ソリストの皆さんのコーラス
さすがにプロの皆さん、ピッタリ合って聴きほれました。


新南田ゆりさん(キク役)と、ご一緒に記念写真



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★3日目、8月4日(日) 『 10時発の長崎市内4時間コースで観光 』

あいにくの雨でしたが、車中を含め14ヶ所を見学し、思い出がいっぱい出来ました。


☆1 【 長崎原爆資料館 】

資料館では被爆の惨状、投下されるに至った経過、現在までの長崎の復興の様子、
核兵器開発の歴史等が展示されています。

大浦天主堂の、焼け 残った側壁 


壁に映る、梯子の跡


焼けた作業服


(左)永遠の11時2分  (右)焼き場に立つ少年


なぎ倒された並木



≪永井博博士≫
被爆で右側頭動脈切断の重症、妻も失った。昭和21年末に病状が悪化、寝たきりの生活に、
「書く」道を選んだ博士は『長崎の鐘』『この子を残して』『ロザリオの鎖』『原子雲の下に生きて』等、
17冊の著書を書き上げた。昭和23年、浦上カトリック信者達の厚意で畳わずか2畳の家「如己堂」建てられた。

著作で得た収入の大半を、長崎市の復興の再建のために寄付。両親や兄弟を奪われ、すさんだ子供達の
心を豊かにしようと、小さな図書館「うちらの本箱」を設け、生きる希望と勇気をあたえた。
昭和25年、長崎市名誉市民の称号と国家表彰を受けられた。 昭和26年「乙女峠」脱稿を最後に容態が急変、
同年5月1日、43歳で永眠され坂本国際墓地に眠られている。

博士が手にされているロザリオは、焼け跡に残されていた緑夫人の鎖(下の展示)。



☆2 【 平和公園 】

毎年8月9日には、ここに大勢の人々が集まり追悼の儀が行われます。

≪平和祈念像≫「右手は原爆を、左手は平和を、表情は追悼の意を表している」
8月9日の式典に向けて、夏の暑い日差しを防ぐテントの準備をしているそうです。


≪平和の泉≫の石碑に書かれている文字。

「のどが乾いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
どうしても水が欲しくて とうとう油の浮いたまま飲みました。」


≪長崎の鐘≫8月9日の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」で、この鐘が鳴らされました。



☆3 【 出 島 】

江戸時代の鎖国期、日本とポルトガルを結ぶ唯一の窓口で、経済・文化・学術の交流拠点として、
日本の近代化に大きく貢献した、約1万5千平方メートルの人工島です。

出島の外形線を見る


ミニ出島の前で


☆4 【 孔子廊・中国歴代博館 】

儀門(ぎもん)といわれる本廟の正式な内大門。


孔子の高弟72賢人を模した大理石の石像が正殿である大成殿の奥まで並ぶ。一体の重さは約1.5トン、
2年がかりで今の位置に整列させたのだという。それぞれが、役職に見合った衣装をまとっている。


☆5 【 大浦天主堂 】≪国宝≫

1853年のペリー来航により二百余年間続いた鎖国は終焉を迎え、1858年9月に締結された日仏通商条約
で外国人のための礼拝堂建立が認められ、その時代背景を経て1864年12月にフランス人神父によって建立。



☆6 【 グラバー邸 】≪国指定重要文化財≫

三菱重工業 長崎造船所、港内を行き交う船の音が間近に聞こえます。


応接間:グラバーと妻ツルの写真、犬の彫刻が施された愛用のステッキ等の遺品が展示されいる。


高い鏡:姿を見る事が出来ない鏡旧グラバー邸には不思議な鏡があります。
グラバーはかなり長身だった? 実はこの鏡、姿見ではなく部屋を明るくするために設置されたらしい。


グラバー邸模型:長崎総合科学大学建築学科有志が製作・寄贈した1/40縮尺の模型。


隠し部屋:グラバーの妻ツルが使っていた部屋の廊下の天井には、窓のない隠し部屋があります。
グラバーは倒幕派の薩摩藩、長州藩などに肩入れし、国禁を犯し自分の船で薩摩の若者をイギリスに
密航させたり、長州へ大量の武器を売っていました。そんな幕末の志士達が出入りしたのでしょう。


台所の床に使われている煉瓦は薄くて、まるでコンニャクのような形をしています。
縦にして並べて使っていたので、とても頑丈だったそうです。


裏手にある (左)馬屋     (右)お茶煎り場


貿易商でありグラバー商会を設立したトーマス・グラバーが住んでいた日本最古の木造洋風建築
グラバー邸をバックに、庭園より


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長崎公演の「この灯を永遠に」は、台本通り全て上演されるため、私達は新たに4曲覚えます。
関東からの参加者は25名で、内8名が四街道のメンバーです。
練習は安藤先生が幕張まで来てくださり、5月25日と7月21日の2回練習をしてくださいました。
(翠昌は、5月は行けずに7月だけ伺いました。丁寧なご指導、有難うございました)

練習・本番の2日間、安藤先生はじめ、コンサート代表・村川様、事務局長・河野様、他の皆様の、
温かいおもてなしに感謝です。そして長崎公演に参加出来たことを嬉しく思いました。

会場の長崎ブリックホールは多彩なジャンルの舞台芸術に対応できる規模と設備を備える大ホールで、
車椅子8席を含み合計2002席もある、素晴らしい舞台でした(大舞台は初めてです)。

プログラムに「長崎記念合唱団」と、私達の「全国有志合唱団」の名前も記載されていました。

今回も、素敵なご縁で知り合えた皆様と、素晴らしいカンタータを歌う事が出来ました。
先生、ソリストさん、長崎そして関東の皆様、お世話になり有難うございました。

最終日、半日ですが4人で観光バスに乗ることが出来、良い思い出になりました。


素晴らしかった「長崎平和祈念コンサート」を、更新しなければと思いながら、
今回も!時間が無く1ヶ月半近く経ってしまいました。

尚:前日リハはT様、当日はW様から送って頂いた写真を使用させて頂きました、有難うございます。
説明には一部新聞・パンフレット・インタ^ネットより引用させてい頂きました。


いつも訪問してくださり、有難うございます。

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